平成16年度大会 報告 [2005/04/01 更新]
■受付開始 9:30~ 於 実践女子学園生涯学習センター
■大会挨拶 10:00~10:10 大会実行委員長 田中 英機
■研究発表 10:10~12:10 (発表20分、質疑応答10分)
10:10~10:40 葬儀と芸能 ― 韓国の事例を中心に ― 南 聲鎬
11:40~11:10 岩手県花巻市「幸田神楽」の神楽講中 阿部 武司
11:10~11:40 琉球古典舞踊における動作単元分類システムの構築 波照間 永子
11:40~12:10 沖縄の盆踊り「エイサー」について 宜保 栄治郎
■昼食休憩 12:10~13:00
評議委員会 12:10~13:00 於 実践女子学園生涯学習センター会議室
■シンポジウム 13:00~16:00
テーマ《沖縄芸能のいま ― 「国立劇場おきなわ」開場を契機として》
・基調報告 : 大城 學
・パネリスト : 大城 學、西角井 正大、比嘉 悦子、三隅 治雄
・コメンテーター: 宜保 栄治郎
・司 会 : 田中 英機
■総 会 16:00~16:40
■閉会挨拶 16:40~16:50 代表理事 山路 興造
■懇親会 17:00~18:30 実践女子学園生涯学習センター内
研究発表
葬儀と芸能 ― 韓国の事例を中心に ― 南 聲鎬
神楽の定義をはじめ、民俗芸能研究における葬送儀礼は如何に強調してもいい過ぎることはないだろう。特に神楽の鎮魂と招魂の間題については重要な手がかりになる。今日、葬送儀礼に芸能が伴われることは殆どなくなってしまったが、「記紀」をはじめ日本の古記録には葬儀の際芸能(歌舞)が行われたことが示されている。本発表は現在韓国において葬儀のとき行われる芸能を紹介する。
葬儀の際行われる芸能は韓国人の死霊観や芸能に対する観念をうかがうことができよう。さらに、かつては目本においても葬儀に芸能が行われた事実は両国の民俗というコンテキストのなかで共通性を読み出すことができる。古墳の壁画などに見られる芸能の姿や、葬送儀礼に行なわれる様々な遊びをはじめ、韓国の珍島のダシレギという葬儀芸能を通して員本の遊部の存在と絡んで考えてみたいと思う。
岩手県花巻市「幸田神楽」の神楽講中 阿部 武司
花巻市幸田の八雲神杜に依拠する幸田神楽は藩政時代から牛頭天王信仰に基づいて霞を超えて周辺を巡業してきた。八雲神杜の代参講中は周辺市町村に現在135組2800戸を組織している。旧7月14目の神杜祭礼には、代参が祭礼に参列する。代参講中の他に神楽講中があり、神楽連中が講中に毎年定期的に呼ばれ、地域神を礼拝し、門打ちし、夜神楽を行う。現在夜神楽を行う講中は、2ヶ所になってしまったが、昭和30年代までは、花巻市・東和町・石鳥谷町・大追町・北上布などに20数ヶ所あった。昭和初期に本田 安次 が訪れ、宮司から聞き取り調査をしており、神楽講の存在と実施状況を確認している。
幸田神楽は、藩政時代に早池峰岳神楽の弟子神楽として再興したが、早い時期から師弟関係を断絶しているため、舞の特徴を異にしている。特筆するのは、戦前まで天王信仰に依拠して岳集落など大迫地区まで巡業していたことである。神楽講と幸田神楽の特質について論じてみたい。
琉球古典舞踊における動作単元分類システムの構築 波照間 永子
様式化された舞踊は、動きの最小単位「動作単元」から構成されている。例えば、能の動きは<シカケ><ヒラキ><シオリ>といった固有の名称を持つ最小の単位に分けられ、名称を記した「型付け」によって一連の動きが記録されてきた。
一方、琉球古典舞踊は、型付け」にあたる記録がなく、名称を持つ単元と持たない単元が混在して伝えられている。本発表では、琉球古典舞踊の動作単元を、構え・移動・上肢・下肢……などの動作様式を一時指標として係数化し、単元名といった固有の指標によらない普遍的な指標を用いた入力・検索が可能となるようデータベースシステムの構築を試みた。
※本発表は、科研費 若手研究B「琉球舞踊における動作単元データベース構築のための基礎研究」(2002-2004)、および米国Asian Cultural Council〈Japan”US Arts Programs Fellowship Grants〉 ”Creation of the Movement Dictionary of Okinawa Dance”(2002-2005)により実施した。
沖縄の盆踊り「エイサー」について 宜保 栄治郎
1.エイサーの現状
先祖崇拝信仰がますます盛んになる沖縄では、それにしたがって盆踊りのエイサーも盛んになり、従来エイサーの全く無かった宮古地域まで、若者たちがグループを結成、県人の移住地であるハワイ、北米、南米でも活発である。いわばかつての阿被踊りの盛況を恩わせるものがある。
2.エイサー研究の経緯
沖縄の盆踊り「エイサー」について研究したのは那覇市首里出身の山内 盛彬と八重山出身の喜舎場 永鏧である。那覇では盆踊りのことをユイサーと呼び、八重山ではアンガマと呼ぶ。山内は実体研究の結果「エイサーが大和の盆踊りと同根の念仏踊りである」と結論付けており、喜舎場もアンガマは「念仏踊り」であると論じている。
しかし両氏ともエイサーとアンガマの類似性や比較については論及していない。それは、盆踊り秘行われる時期と当時の交通事情の制約にあったと思われる。沖縄諸島と八重山諸島で盛んに行われているエイサーとアンガマが同根であるということについて誰も検証せず、その性格や類似性については分かっていなかった。
そこで私は、次の視点と疑間を解決するために大和の盆踊りと沖縄のエイサー、八重山のアンガマについて調査した。(1) 山内が説くようにエイサーが念仏踊りであるとすれば、何故その歌詞が男女の交情を中心とした歌詞であるのか。(2) 八重山のアンガマの歌詞に色濃く残っている念仏の歌詞は、何処から誰が持ち込んだものであるか。これらにっいて調査した結果、両者の名称が違いこそすれ同じ芸能であることを検証した。
3.浄土宗袋中上人の業績
また、エイサーの起源が琉球の歴史書「球陽」にある通り、大和の浄土僧袋中上人が1603年に来琉し、踊り念仏を庶民に広めたことが、その起源であることを、私はエイサーの歌詞から実証した。その過程について発表する。
シンポジウム
テーマ《沖縄芸能のいま ― 「国立劇場おきなわ」開場を契機として》
・シンポジウムテーマの主旨説明 田中 英機
日本の民俗芸能の初発に「沖縄と沖縄芸能」の刺激の大きかったことは言うまでもない。昭和3年の雑誌『民俗藝術』の創刊号巻頭に、折口 信夫の「翁の発生」が寄稿され、この論文をつき動かしたひとつの力は、神縄の翁の姿であった。民俗学・芸能史にとって沖縄はかけがえのないフィールドであり続けてきた。
その後、本田 安次 氏、三隅 治雄 氏など本土の研究者と沖縄の志ある人々の作業によって、沖縄芸能研究は大きな進展をとげ、一方、その気運の中で、昭和47年(1972年)沖縄の本土復帰を機に、琉球古典芸能のうち「組踊」が国の重要無形民俗文化財に指定され、その直後から神縄に国立劇場をという声があがった。
戦前・戦後の時代、沖縄の芸能は必ずしも幸運の時を過ごしたわけではなく、むしろ衰微の方向を抑制するに精一杯であった。組踊を中心とする紳縄伝統芸能の継承と発展のために国立劇場の組織と機能は、誰の目からしても必要であった。しかし、紳縄の芸能と芸能界は、国立劇場を持ち得るほどに成熟していたかどうか。興行に耐えうる芸能であったかどうか。民俗的、芸能史的価値と劇場芸能としての評価は必ずしも一致しない現実の中で、「国立劇場おきなわ」は本年3月に開場した。
琉球古典芸能(御冠船踊)と沖縄民俗芸能は、こののち国立劇場とどのような連携を図ることでその将来を展望できるか。とりわけ島々村々の民俗芸能との関係、その在り方をどのように考えるか。こうした課題をもったまま神縄の国立劇場は出発している。
そこで、(1) 東京・国立劇場と沖縄芸能、(2) 沖縄民俗芸能の現在は、(3)「国立劇場おきなわ」と沖縄民俗芸能の将来等について検討を試みたい。
以上
お問い合わせ先
- 民俗芸能学会事務局(毎週火曜日 午後1時~4時)
- 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学演劇博物館内 [地図]
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