平成30年度大会 報告 [2019/04/01 更新]
平成30年度民俗芸能学会大会は、11月25日(日)、成城大学3号館321教室を本会場として開催された。参加者は延べ69名(会員60名、一般9名、内学生13名)。
研究発表
・荒木 真歩
氏
「映像比較による芸態変化の一考察」
本発表では、これまで1つの民俗芸能において多目的に作成された過去の複数の映像を本来の映像作成の目的以外での学術研究として有効な活用方法を示す一試論を提示した。具体的には、奈良県の篠原踊りを事例に、映像比較による芸態変化の分析から現在の芸態の伝承状況を捉える、という試みであった。映像比較による芸態の変化を表にまとめると、単に時代が下り芸態が短縮したとは言えないような様々な変化があり、それを踏まえ現在の伝承を見ると担い手のマイクロポリティクスや文化財行政の影響力が入り込んでいることが浮かび上がってきた。
フロアからは、太鼓の打つ強弱と芸態変化の関係や、豊島区の長崎獅子舞にて映像・音声を活用して世代による演じ方の違いを考察したことの紹介、映像比較による考察の保存会へのフィードバック方法など、多数のコメント・質疑をいただいた。
・伊藤 純
氏
「風流獅子舞文書のテクストと芸能実践」
地域社会への風流獅子舞(いわゆる三匹獅子舞や鹿踊)の受容のなかで注目されるのは、獅子舞の伝承者が所持する古文書である。その多くが巻物の形式をとり、「開けることの禁忌」「存在の周知と内容の不周知」という性格を持つことが指摘されている。本発表では、栃木県に広く分布する関白流および文挾流の獅子舞古文書をとりあげ、テクストと芸態との関係を分析した。近世期に作られた宗教的な文書は他の風流獅子舞や鬼剣舞と近似した内容をもつが、近代に作られた関白流の文書は、地域的に限定されて広まっている。そこから、「テクスト化する(/しない)芸能実践」「実践される(/されない)テクスト」といった、テクストと芸態の関係性を提示した。
質疑応答では、このマトリクスの移行に関する質問や、テクストが生成・保持される状況などを検討すべきという意見を頂いた。今後の課題としたい。
・松岡 薫
氏
「北部九州における俄の上演 ― 形式・演目・即興性 ―」
本発表では、現在でも比較的俄が盛んに演じられている北部九州地方の俄(福岡県福岡市、熊本県阿蘇郡高森町、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷など)を取り上げ、俄の上演形式、演目内容、即興性の観点から比較検討した。
上演形式については、仮設舞台の上で演じるものと、地面に立って演じるものの2つに分類できる。その一方で、演目内容は歌舞伎や時代劇のパロディから漫才・コント調のものまで多岐にわたることを指摘した。また、現在演じられる俄は、事前の稽古を経て演じられるものであり、演目内容や最後の「落とし」は演者によって入念に練り上げられている。これら決まり事の範疇の外で演じられる部分に、現在の俄における即興性が観察できることを指摘した。
発表に対するコメントとして、俄の自由さを強調しすぎるのではなく、演者たちが「俄」という芸能をどう認識し、その枠組みのなかでどのように演じているのかについて、より丁寧に述べたほうががよいといった意見が出された。
・下田 雄次
氏
「民俗芸能伝承のプロセスに主眼を置いた調査/記録
― 映像技術を用いた伝承支援の試み ―」
民俗芸能を対象にした従来の記録撮影においては、公開されるに至った芸能の姿、すなわち「芸能伝承の結果」に主眼を置く取り組みが主流であった、といえよう。
今回、発表者は、まず従来のセオリーの重要点に触れた。その上で、実践的なレベルにおいて芸能伝承を支援するためには、当事者の視点に寄り添った記録(映像教材)の作成が必要であり、そのためには、芸能が公開されるに至るまでの「プロセス」に着目しながら、伝承の場で生起する教授行為を記録する必要がある、という点を主張した。具体的な事例としては、青森県内における、これまでの自身の取り組みを報告した。質疑応答の一部を以下に記す。
会場から:映像記録では、全ての物事を記録できると考えるのはおこがましいのではないか。芸は人から人へ伝わる、時代によって変わる、これを伝えるには対人の稽古しかありえない。記録はそこまで踏み込んではならないと考える。
発表者:全ての物事を記録できるとは考えていない。撮影では、現場でくり返し示される基本的な重要点に注目した。記録については、あくまでも基本は従来のセオリーであると考える。今回は、これを補足してゆくような、新たな試みとして取り組んでいる。
シンポジウム
「民俗芸能研究の新しい視点に向けて」
コーディネーター:俵木 悟 氏
従来の民俗芸能の研究は、調査研究の対象によって区分されたサブジャンルによって領域規定され、その中で資料と研究の蓄積がなされてきた。それらの成果の重要性は否定できないものの、一方でこうした動向は、ジャンルごとの研究が特殊化し、内旋するといった閉塞状況を⽣む原因にもなっている。本シンポジウムでは、新しい「視点」(= perspective)を提示することによって、これまでとは異なる民俗芸能の理解への可能性を開き、同時に芸能の周辺事象を含めた広い「視野」の獲得によって、民俗芸能研究の特殊領域化(=分断化)を乗り越え、新たな「展望」を得ることを狙いとした。このような意図から、これまでも⺠俗芸能研究の主要な視座となってきた(1) 芸態研究、(2) 歴史研究、(3) 社会会(関係性)研究の3つの立場からの発題を受けて、総合的・俯瞰的な観点からの討議を行った。
討議では時間の関係もあり、3つの立場の有機的な絡み合いを充分に議論するまでには及ばなかったが、人文諸科学との連携による、幅広い研究の展開の可能性は示すことができたと考える。「民俗芸能」という対象によって束ねられた学会だからこそ、学際的な試みが期待できるという意見は傾聴に値しよう。フロアからは「新しさ」を強調することに対する疑義もあったが、それは「古い/新しい」という研究手法の分断を意図したものではなく、未発の課題に挑むことによってこそ領域全体の進展を望みうるという趣旨であったことを申し添えておく。
・パネリスト:川﨑 瑞穂
氏
「構造主義的芸態研究序説 ― 囃子のモチーフに着目して ―」
本発表では、民俗芸能の「芸態」を構造主義的に分析する方法について考察したのち、シンポジウムのテーマ「民俗芸能研究の新しい視点に向けて」に則し、構造分析を未来に向かってどのように発展させていくことができるのかを検討した。博士論文を基にした拙著『徳丸流神楽の成立と展開 ― 民族音楽学的芸能史研究 ―』(第一書房、2018)では、自身の方法論の一つである「構造論」を全面的には展開しなかった。拙著でやり残した研究の端緒となる本発表では、構造主義の「原理」ともいえる、生物学者ダーシー・トムソンによる生物の「形態」の分析を参考に、川崎市と東京都のいくつかの三匹獅子舞に共通してみられる「間奏のリズム型」の変換規則を検討した。次に、自身の研究課題「民俗芸能の音楽における「主題と変奏」 ― 囃子のモチーフの通時的・共時的研究 ―」(JSPS 科研費 JP18J00237)と、最新のデジタル信号処理(Digital Signal Processing, DSP)の応用可能性を簡潔に紹介することで、構造分析の発展可能性を示した。最後に、コンピューターを活用した囃子のモチーフ分析が、クロード・レヴィ=ストロースを批判的に継承するエドゥアルド・ヴィヴェイロス=デ=カストロらによる、いわゆる「存在論的転回」以降の民俗芸能研究の指針となることを示し、論を結んだ。
・パネリスト:鈴木 昂太
氏
「どの歴史資料から、何を読み取るのか ― 民俗芸能研究を広げるための一試論 ―」
本報告では、今後の民俗芸能に関する歴史研究に必要な視点として、これまで民俗芸能研究に利用されることが少なかった種類の歴史資料の活用と、資料の性格や時代背景を踏まえた読解の必要性を訴えた。上記の主張の有効性を、広島県の芸北神楽の「GHQ神話」(戦後すぐのGHQによる台本の検閲を通過するため、従来の神楽(「旧舞」)が持つ神道的な要素を薄めて「新舞」を創作したとする説)の検討を通して、実践しながら説明した。
まず、一つ前の時代からのつながりに注目すると、明治の後半から昭和20年までの広島県では、広島県神職会による神楽規制が行われており、県内で神楽を舞うためには、神楽台本の検閲や神楽開催許可の取得が必要とされていた。こうした社会的慣習(ハビトゥス)が、GHQ神話が生まれた歴史的背景としてある。
また、中国地方の神楽団に残されているGHQに提出した台本を検討すると、「農村舞楽」として許可を得た安芸高田周辺の神楽団と、従来通り「神楽」で許可をとったそれ以外の地域の神楽団があることがわかった。こうした資料の違いは、新舞の考案者である安芸高田市美土里町の佐々木 順三 氏たちが、新舞の正統性を担保する権威として、従来の神楽を認証してきた神職会とは正反対のGHQを利用したことを示しているのではないだろうか。GHQ神話は、神楽の変革運動のなかで生み出され、新舞の伝承者たちに利用されたものであった。
・パネリスト:塚原 伸治
氏
「関係のなかで民俗芸能をとらえ直す
― もの、偶発性、あるいは後景化する身体について ―」
ここ20年ほどの民俗芸能研究の動向のうち、かつての研究が型や技に関心を集中させてきたことへの批判はめざましいものがあった。そして、その結果として生じた、担い手自身の主体性やそれを支える集団や地域社会の文脈から芸能をとらえ直す視点への転換は、民俗学全体の動向と同様、もはや目新しいものではなくなりつつある。
本発表ではあえて、これらの動向とは少し異なる視点から民俗芸能について考えることを目指した。それが芸能という身体的なパフォーマンスの一種である以上、表現する主体としての人そのものや、人がつくる組織や社会の力といったものにまず関心が向くことは当然かもしれない。しかし、人間のみに目が奪われた結果、人(々)の意図や主体性が過度に強調されてしまうことの問題もある。そこで見落とされるのは芸能自体の栄枯盛衰において、誰にもままならない偶発性が大きく影響を及ぼしてきたことや、人と人の関係を媒介し、人に働きかけるたくさんのものの働きがそこにはあったことなどである。このような課題にこたえるために、千葉県香取市とその周辺で演奏されている佐原囃子という祭り囃子を事例としながら理論的な検討をおこなうことで、多様な人・もの・ことからなる関係の中で民俗芸能をとらえ直すための試論を提示した。
第12回本田安次賞授与式
平成30年度の本田安次賞は、5月末日まで募集され、7月7日、8日の2回の選考委員会が開かれた。大会欠席の渡辺 伸夫 氏に代わり、山路 興造 氏より本田安次賞の作られた背景等についての話の後、本年は賞が見送られたことの説明がなされた。
以上
お問い合わせ先
- 民俗芸能学会事務局(毎週火曜日 午後1時~4時)
- 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学演劇博物館内 [地図]
- 電話:03-3208-0325(直通)
- Mail:office[at]minzokugeino.com (* [at] を @ に換えてお送り下さい。)