平成20年度大会 報告 [2009/04/01 更新]
平成20年度の民俗芸能学会大会は、さる11月23日(日)、財団法人日本青年館5階501会議室で行われた。参加者は80名(会員は68名)であった。
開会に先立ち、掛谷 踧治 大会実行委員長から日本青年館が大正14年「郷土舞踊と民謡の会」を開催して以降、昭和大戦後は「郷土芸能大会」、昭和25年からは故 本田 安次 先生の指導のもとに開催し、今日に至っている旨、全国民俗芸能大会と日本青年館の歩みを中心に挨拶があった。
研究発表
藤原 宏夫
氏は「八注連(やしめ)の諸相と変遷について」と題して、
島根県邑智郡を中心に伝わる八注連(八角形の注連)という名の祭儀を川角山八幡神社(広島県安芸高田市美土里町)、三上家文書(島根県邑智郡邑南町)、市木神社(島根県浜田市旭町)の記録から現在に伝わる邑智郡と広島県山形郡の八注連を事例に死霊鎮魂の神楽との関連まで八注連の起源と広がりを論及するとともに隠岐地方の八重注連神楽や出雲地方の浄土神楽にまで話を展開。
質疑は主に浄土神楽と荒川神楽の関係、大元神楽のワラ・ヘビを使う神楽などとの関係について行われた。
髙山 茂
氏は「遍閉(反閇)のゆくえ−甲斐国・太々神楽の変容−」と題して、
府中八幡宮の神楽を甲斐国を代表する事例とし、それは神主による国家安全の御祈祷神楽であった。つまり国礼の神楽、それが大々神楽であり、一宮賀茂大明神(下山村)・岩殿大明神(黒桂村)では遍閉御神楽・遍閉神楽と称した例をあげながら太々神楽次第に遍閉という曲目が甲斐の国内で広く行われた。西嶋神楽(中富町)・二之宮美和神社(御坂町)・金桜神社(甲府市)遍閉事例を写真で紹介、それは鳥甲・赤天狗面をつけ、鉾・太刀を持つ行法であると結んだ。
質疑は伊勢の猿楽、猿楽大夫の方堅め、翁に鳥甲を使う事例との関係について行われた。
小島 美子
氏は「楽器編成から見た神楽の分類と分布」と題して、
民俗芸能研究で囃子の楽器について太鼓、鉦と表記されているが、太鼓にもいろいろの種類があって音階も違うとし、太鼓と鉦の種類を改めて確認したうえで、神楽は全国に広く分布し、地域毎に楽器の編成も異なるところから胴の長い型(枠つき締太鼓)・銅拍子(→大拍子)・笛を用いるグループと銅拍子を用いないグループに分けることができる。そして石塚 尊俊 氏作成の神楽分布と茂木 栄 氏作成の稲の儀礼分布を示した日本地図を使って前者のグループには出雲系統、採物系統、番楽。後者のグループには伊勢系統、湯立系統、太々神楽・法印神楽と、一律にはとらえにくいが、としながらも分類と分布を明らかにされた。
質疑は例外的な事例に関して見解を求めたり、楽器の歴史についても行われた。
林 和利
氏は「佐渡鷺流狂言の価値」と題して、
佐渡の鷺流狂言が昭和54年に確認されて以降、保存継承の努力とともに佐渡の狂言史研究と台本の翻刻と比較研究も着実に進捗している状況を踏まえ、具体的な翻刻と比較分析を三河本「枕物狂」と天田本「鍋八撥」の台本で進めた結果判明したのは(1) 佐渡に伝わる狂言台本が鷺流宗家任右衛門派のせりふ・演出を正統に伝承するものであること、(2) 宗家伝承の台本には型付けが記されていないが、佐渡伝承の台本には演技・演出の細かい記述が見られることが分かった。これを元にした鷺流宗家狂言の復活の可能性もなしとはしないと結んだ。
質疑は保存継承状況、鷺流宗家狂言の復活の時期などに関して行われた。
シンポジウム
テーマ《本田 安次 ― 人と学問 ―》
民俗芸能学会初代代表理事 本田 安次 先生が亡くなられて早7年が過ぎた。その間、平成19年度には、民俗芸能研究の分野で優れた研究成果を顕彰するため、もしくは研究を奨励するため本田安次賞を創設した。そこで遅ればせながら、本田 安次 先生の研究とその成果を問い直し、先生の人となりとそこから生み出された学問が何を目指し、何を明らかにし、何をもたらしたかを本年度の大会シンポジウムで検討することにした。(テーマの趣旨説明)
基調講演(要旨)
山路 興造 氏《本田 安次 先生の仕事を検証する》
私は、本田先生没後、先生の仕事を振り返る機会が2回あった。一つは早稲田大学で先生に教えを受けた者による業績の検証、もう一つは日本青年館の民俗芸能大会を中心とした業績の検証で、前者は『演劇映像』所収、後者は『民俗芸能』所載。
今回はそれらとの重複を避けるため、主として本田先生が河竹 繁俊 先生に石巻(福島県石巻市)から招聘され託されたであろう戦後文化財行政におけるオピニオンリーダーとしての役割と、その仕事に絞った話があった。
講演では初めて語られたエピソードも交えて、文化財行政に対する熱い思いの数々が披露された。
パネルディスカッション
(パネリスト)三隅 治雄氏は、
学生時代、折口 信夫からの紹介で指導を受けて以来、1952年の「民俗芸能の会」の創立から、1972年に日本民俗芸能学会と名を改めたとき、朝日新聞の協力を得て「民俗芸能を語る夕べ」をやった。1978年に日本民俗芸能学会をつくるまで、行を共にして、民俗芸能研究の学の樹立を多くの篤学者の糾合によって果たそうとする本田氏の情熱の凄さを、肌で感じた。また、フィールドワークにおける観察の綿密さ、眼に触れるもののことごとくをすばやくノートし、文書類があれば徹宵してでも記録する旺盛な採集力を、奄美・沖縄などの旅で実見したが、特に学恩を得たのは『能及狂言考』(1943年刊)に収められた猿楽能の成立についての所説であった。
(パネリスト)須藤 武子氏は、
最初の出会いが1963年沖縄滞在の折で、以来、先生から紹介された地域を訪ね歩いてはその報告にあがってお話を伺うという時を過ごしてきた私から先生のお姿で最も印象的なのは芸能の美に対してそそぐ深い眼差しで、そこには民俗の中にあらわれる美を真実の美とする揺ぎない評価があり、それ故か、その美をもたらす地元の人々への限りない尊敬の心だった。
(パネリスト)石井 一躬氏は、
民俗芸能の採訪記録の確かさからフィールドでの実証を主とする部分に注目されているが、私は必ずしもそうとは言い切れない一面をお持ちだったように思う。その一つに早稲田大学大学院の「日本民俗芸能研究」の講義の冒頭に参考図書として挙げられたものに民俗学関係以外で松永 斉光『祭本質と諸相』、次田 閏『古事記新講』をお示しになったことである。国文学専攻でも次田 閏はあまり読む機会は少ないと思われるのに、英文学ご出身の先生がこの本に注目されていたことは、当時の大きな驚きであった。
(パネリスト)神田 より子氏は、
本田 安次の学問はその幅の広さで、本田以前の時代に「民俗芸能」としての学問的な足跡もないまゝ、東北から踏み出したその一歩一歩は全20巻という著作集の成果を伴って、次の世代はどうするのだと、とわれわれに迫っている。本田の研究や資料収集のあり方は、ゆるやかな定義、あるいは定義なきゆるやかさ、とも言える。この方法は現場主義とも言い換えることができ、現場で調整し、収集した資料が始めにあり、それらをどう整理し、分類し、分析するのか、資料の山を見てそれから考え出した。そして本田がとった方法は、今から見ればファジーさいっぱいと言えるものであった。
(パネリスト)宮田 繁幸氏は、
パネリストの発題を終えたところで休憩をとり、休憩後は一人一人の発題を要約するとともにパネリストに補足を改めて求めた。
その後、あらかじめ配布した質問用紙を休憩時間に集め、質疑に入り、特に、大森(京都)氏の「民俗芸能の調査で神仏分離前と分離後を意識してやっていたか」という質問にはパネリスト一人一人に本田安次の学問から思い出されることを尋ね、三隅氏から「本田 安次の語彙」を学会としてまとめては。神田氏は神楽だけでもと思い研究例会で試みているなど。司会の宮田氏は三隅提案に対して「学会の課題として受け止め、理事会で検討していく」と引き取った。
第2回本田安次賞贈呈式
平成20年度の本田安次賞は
大石 泰夫
氏著書の
『芸能の〈伝承現場〉論』
に決定。西角井担当理事より表彰状と賞金が手渡された。
西角井担当理事から応募状況、選考ポイントとなったのは「本田 安次 氏の学問の原点が現場主義」にあるところから大石氏の著作はまさにぴったりだったと報告。選考委員を代表して山路 興造 氏から祝辞があり、続いて受賞者の大石氏からお礼の言葉があって授与式を終えた。
・受賞者および選定理由の詳細は
こちら
以上
お問い合わせ先
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