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令和5年度 民俗芸能学会大会 [2025/02/25 更新]
令和6年度 神奈川大会
令和6年度 民俗芸能学会神奈川大会開催
主 催 : 民俗芸能学会
日 程 : 令和6年11月30日(土)~12月1日(日)
会 場 : 神奈川県立歴史博物館
〒231-0006 神奈川県横浜市中区南仲通5-60 【会場アクセス】
伊勢山皇大神宮参集殿
〒220-0031 神奈川県横浜市西区宮崎町64番地 【会場アクセス】
内 容 : 博物館見学、懇親会
神社正式参拝、研究発表
参加費 : 1,000円
昼食代 : 1日分1,000円程度(必要な方、要・事前申込)
懇親会費: 8,000円程度(参加者)
※ご宿泊につきましては、各自、ご手配ください
※ご不明な点などは、学会事務局までお問い合わせください
令和6年度 民俗芸能学会神奈川大会は、伊勢山皇大神宮との共催にて、11月30日(土)・12月1日(日)の2日間、伊勢山皇大神宮を中心会場として開催された。参加者は、延べ24名だった。
1日目【11月30日(土)】
・神奈川県立歴史博物館特別展見学(16時~17時)
同館・渡邊浩貴氏による展示解説
・懇親会
2日目【12月1日(日)】
・神社正式参拝(9時30分より)
・開会挨拶および講演(10時頃より)
「伊勢山皇大神宮の歴史」(阿久津裕司大会実行委員長)
・研究発表(10時50分より)
・昼食休憩(12時40分~13時40分)
・神奈川県の民俗芸能記録映像の上映(13時40分より)
・閉会挨拶(16時)民俗芸能学会代表理事・茂木 栄
2日目大会開催の辞
・阿久津裕司 伊勢山皇大神宮宮司・大会実行委員長
この度、令和6年度の民俗芸能学会神奈川大会が横浜にて開催されることになりました。過日、代表理事の茂木栄先生より本年度の大会会場を伊勢山皇大神宮で開催できないか、とのご依頼がありました。私は入会してまだ数年しか経ておらず、会場のご提供は問題ありませんが、大会実行委員長を務めるには少し荷が重いと感じました。しかし、学生時代に大変お世話になりました茂木先生からのご依頼ですので、こころよくお引き受けする運びとなりました。
ご承知のとおり、神奈川県内にも伝統ある民俗芸能があり、横浜市内でも古くから伝えられている富岡八幡宮の卯陪従、伝統を復興した鶴見の田祭りなどがございます。
本大会の初日には神奈川県立歴史博物館特別展の見学、2日目は伊勢山皇大神宮に於いて研究発表等となっており、横浜滞在をも楽しんで頂けましたら幸いに存じます。皆様には、11月30日(土)、12月1日(日)横浜、伊勢山皇大神宮へおこし下さい。大勢のご参加を心からお待ちしております。
2日目研究発表要旨
・渡邊 浩貴
氏
「中世舞楽面・行道面の地域的展開と鎌倉幕府権力
― 特別展「仮面絢爛」での研究成果を踏まえて ―」
舞楽や行道をともなう中世音楽文化は、院政期の京都貴族社会で培われながら、次第に地方へと伝播し、地域社会のなかで改変を伴いながら民俗芸能へと継承されていく。とりわけ中世における地方伝播については、国衙などの地方官衙機構や一宮をはじめとする大社寺の存在が注目されてきた。
ただし、近年見いだされた鎌倉期の舞楽面・行道面の事例から、鎌倉幕府やそこに集う御家人である武士の関与が濃厚になりつつある。
鎌倉や京都だけでなく、列島規模で活動を展開した武士が、どのように舞楽や行道の伝播に関わったのだろうか。また、彼らはかかる音楽文化にどのような目的で利用したのだろうか。神奈川県立歴史博物館の特別展である「仮面絢爛」の研究成果を踏まえながら、鎌倉期の九州・中国・畿内・東海・関東などの事例を俯瞰しながら明らかにしていきたい。
・古川 実
氏
「津軽神楽について」
青森県津軽地方一円で行われている「津軽神楽」について紹介し、この神楽への様々な関心・研究視点などを
ご教示いただく機会としたい。
津軽神楽の由来は、弘前藩四代藩主津軽信政の遺志継承を思った堰神社神主の堰八豊後守安隆が藩主に許可を
得て、京都吉田家や江戸に出向いて神楽を修得し、津軽に持ち帰って普及させたものとされる。信政は吉川神道
の秘伝を伝授され、死後は廟社高岡宮を建立させ祀らせた藩主であった。
この神楽は信政の意を汲み、藩主祭祀に関わる神楽として津軽地方の神職家に普及・継承され、神事色の濃い
格式の高い神楽として伝えられてきた。
近代以降の宗教政策の変革などを経て演目などに変化があり、現在は11演目が伝えられている。太平洋戦争
後は、文化財として保護すべく津軽神楽保存会が組織され、継承活動が行われている。
・岩崎 真幸
氏
「福島県北部の「浜下り」祭礼と奉納芸能
― 南相馬市江垂日吉神社の祭りを中心に ―」
「浜下り」は太平洋沿岸部、ことに東日本に顕著な祭礼行事である。福島県の浜通り地方には、廃絶したものも含めると「浜下り」の祭礼行事が120か所ほど確認できる。福島県の「浜下り」には分布の濃淡があり、浜通り北部は分布が濃い。本発表では南相馬市鹿島区江垂(えたり)の日吉神社の浜下り大祭を取り上げ、この神社の「浜下り」の祭りと、そこで奉納される芸能に視点を当てて報告する。また、2011年の東日本大震災の大津波と原発事故は、関係集落を壊滅させ、避難に伴う人員の流出を生み、地形や生活環境の変貌も祭礼行事を大きく変容させた。祭礼の存続にかかわるこうした実態にも触れたい。
日吉神社の浜下り大祭は13年ごとの申年に実施されており、七つの集落がかかわる大規模な祭りである。当社は山王権現と称し、南朝の北畠顕家が義良親王を奉じて拠点にした霊山城(りょうぜんじょう・現伊達市霊山町)の鎮守であったという。霊山が落城すると、配下の桑折元家一行は身をやつして山王権現のご神体を奉じて江垂に至り、康永3(1344)年現在地に遷宮したという。申年の浜下り大祭で、神事の初めに奉納される「宝財踊(ほうさいおどり)」は、山王権現を奉じた一行7名の姿を再現するもので、権威のある芸能とされてきた。
「浜下り」は、ご神体を納めた神輿を中心に行列をつくり、神社を出発して烏崎集落の前の烏浜に「お下がり」するが、周辺の集落の芸能も行列に加わるため、その規模は大きくなる。行程には「建場(たてば)」と称する祭場を設け、なかでも堤下の建場では浜格の烏崎集落に、行列を受け渡す厳格な儀礼を伴う。竹矢来(たけやらい)に囲まれた浜の祭場に到着すると砂盛の祭壇に神輿を安置し、烏崎の区長が海に入り潮水を汲み、供えた潮水で神輿や一行を祓う。浜の祭場ではすべての芸能を奉納し、そのあと神社に還幸して修復が済んだ社殿にご神体を納める。
震災後もこの祭礼は斎行されたが、震災以前に比較すると規模が縮小され、近かった浜との関係や集落間の繋がりも疎遠になっている。
・白井 正子
氏
「長床の祭祀空間と民俗芸能
― 若狭地方は美浜町日向の稲荷神社長床の事例から ―」
長床(ながとこ)とはどのようなものなのか、長床の語源と、背景については神仏習合の信仰であった明治維新前について思考する。
明治新政府の執った神仏分離政策は社寺院の祭祀に関わる人々に衝撃をあたえた。床の発起は建築と民俗性に影響を及ぼして建築の空間は人と共生することによって展開されてきたと考えている。
日本国内の各地において長床は独自性をもって発展してきたものである。日本の文化がもつ奥深さと辿ってきた時代により変遷する過程を調べ、草創からの進展と変容について探求すると、長い年月を擁しており、盛衰と途絶える危機に遭遇しながら消滅すること無く、長床は継承されてきたことになる。長床に潜んでいる思想の重層性は、複雑で理解され難く、謎が多く、刺激されて研究に取組むことになった。
庶民の暮らしのなかに心の拠りどころとして精神的な支えを為した理由は、その土地に住む暮らしのなかに発祥した祭祀と信仰に関わり、祭祀の空間が時代を超越して今日まで継承されてきた点にある。その形態は幾つかのタイプに類別される。
若狭地方から、日向区の稲荷神社長床の祭祀空間について民俗芸能との関わり方を発表する。
2日目神奈川県の民俗芸能記録映像鑑賞
1.「山北のお峯入り」
(神奈川ニュース映画協会1973(昭和48)年制作 40分 永田衡吉監修)
山北町共和地区 5年に1度 2023(令和5)年
10月8日開催
1981(昭和56)年、国指定重要無形民俗文化財
2022(令和4)年「山北のお峯入り」を含む「風流踊」がユネスコ無形文化遺産
[概要]
「お峯入り」は、足柄上郡山北町の共和地区に古くから伝わる民俗芸能(祭事)。修験道(山岳宗教)の呪法が芸能化したもので、しかも風流踊りや古代の儀礼(歌垣の遺風)などが見られる。語源としては、山上の神明神社まで練って行くので、「オネリ」、または「屋根入り」の意味が考えられている。
81人の男衆だけで、天狗、獅子、おかめ、山伏、国見役、殿様に扮した演者たちが笛や太鼓に合わせて、「道行き」といわれる行列を組んで練り歩いた後、みそぎ、満月の歌、棒踊り、鹿技踊り、修行踊り、歌の山、四節踊り、五色踊りなど、8演目の歌舞が奉納される。最近は共和小学校の校庭に集まり、歌舞を演じてから山上の神明神社まで、オネリをしながら山道を登る。到着すると、神社に参拝し、社前で歌舞を奉納する。
山間部である共和地区は人口が440人程度であるため、80名以上の演者を確保する「お峰入り」を公開するには長い準備期間が必要なので、5年に1回程度の不定期な公開となっている。
2.「国府祭」
(神奈川ニュース映画協会 1973(昭和48)年制作 30分 永田衡吉監修)
大磯町国府本郷の六所神社・神揃山・大矢場(馬場公園)他
5月4日・5日
1978(昭和53)年、県指定無形民俗文化財
[概要]
毎年5月5日の端午の節供に行なわれるので、古くは「端午祭」といい、明治時代から、「国府祭(コウノマチ)」ともいわれる。寒川町に鎮座する一ノ宮(寒川神社)、二宮町・二ノ宮神社(川匂神社)、伊勢原市・三ノ宮(比々多神社)、平塚市・四ノ宮(前鳥神社)、平塚八幡宮、および六所神社の六社による合同の祭りである。祭りは、「六所神社」をはじめ、神社の聖地とされている「神揃山」、「大矢場」の3ヶ所で挙行される。
前日の4日に六所神社では道を浄め、「浜降り」の神事を行なう。5日は、六所神社以外の五社の神輿が神揃山に集まり、「座問答」の神事が行なわれた後、大矢場に降りて、六社の神事が行なわれる。祭りの随所には、古式とみられる民俗事例が垣間見られる。最近は見られなくなったが、「農具市」が立った。
3.「吉浜の鹿島踊」
(神奈川ニュース映画協会1971(昭和45)年制作 15分 永田衡吉監修)
湯河原町吉浜の素鵞神社
8月1日
1976(昭和51)年 県指定無形民俗文化財
[概要]
素鵞神社に伝えられる「鹿島踊り」は、西湘に伝えられる中で、古い形式を止めているとされている。その根拠は、踊り手が腰に白紙を付けていることで、これが「物忌み」の印と考えられていることである。また、疫神送りの踊りが残ったともいわれている。
25人の白丁姿の男衆が、「五行五列」で行う踊りである。右手に扇、左手に幣束を持った踊り手は、太鼓と鉦の囃子と歌につれて、隊形を円陣から横隊に、横隊から円陣にと変形しながら、扇と幣束を動かして踊る。なお、この鹿島踊りは、江戸時代の中頃、伊豆の初島から伝えられたものなので、それほど古くないともいわれている。
※なお、記録映像の三作品は、神奈川県立歴史博物館から提供を受けた。
以上
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お問い合わせ先
- 民俗芸能学会事務局(毎週火曜日 午後1時~4時)
- 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学演劇博物館内 [地図]
- 電話:03-3208-0325(直通)
- Mail:office[at]minzokugeino.com (* [at] を @ に換えてお送り下さい。)